技術の沿革

1990年:基幹業務のオープン化を中心とした業務して始動。
UNIXワークステーション、 PC等でリレーショナルデータベースであるORACLE(当時Version5)をデータサーバーとして会計及び販売管理などを手掛ける、当時 WindowsはまだWindows3.0以前のバージョンでパフォーマンス等の問題があった為、キャラクターベースWindow Systemを開発しその上に会計などのアプリケーションを開発していました。一方UNIXワークステーションはデータベースサーバーはもちろんクライア ントマシンとしてもX-Window Systemを活用し開発しました。現在ではOSやミドルウェアの開発あるいは制御系などでしか使われなくなったC言語が当時のUNIXワークステーショ ンやPCでのアプリケーション開発言語でした。

1993年:Windows3.1の発売とSQL-Windows
Windows3.1の発売 でクライアント環境はWindowsに染まった、そこでSQL-Windows(後にCenturaとなる)を採用し開発を行うようになった、これはVB の開発環境に似ているが、オブジェクト指向で開発できる先駆的な製品であった。データベースサーバーはUNIXが主流であったが、1994年に WindowsNT3.1が発売され現在PCサーバーと呼ばれている低価格サーバーが出現し、C/S(クライアント/サーバ)システムがより低予算で構成 する事が可能となり、部門や子会社などのシステムを独立したC/Sシステムとして構築しました。Windows3.1はWindows95へ WindowsNT3.1はWindows4.0となった。

1996年:SQL-Windows+ORACLE7はお家芸
クライアント側に Windows95+SQL-Windows、サーバー側にWindowsNT4.0+ORACLE7でストアドプロシージャ(データベースサーバ内で動 くプログラム)を使用した開発が当時のお家芸であった。現在は主要取引先となっている大手出版系の子会社の販売管理システムを完成させたのもこの頃です。 そして、雑誌に掲載されたのも良い思い出でした。

1997年:インターネットへの道
C/Sシステムの開発に大きく自信を付けたところで、遅まきながらも世の中がインターネット、 イントラネットに向かっていることに着目し、CGIでプログラムを作りデータの流れなどをモニタしHTTPプロトコルを調査したり、既にWebアプリの開 発ツールなどを製品化してる会社等と交流を始めた。そしてWebアプリを独自の開発ツールやMicrosoftのASP等でその開発を始めることになりま した。

1998年:Linux&Java
当時、サーバーはUnixあるいはWindowsNTが主流 であったが、Linuxが台頭してきた。低スペックなハードで動き、オープンソースであることはいろんな意味でとても都合が良く早速実験的に導入した。当 初は同じくオープンソースのPostgreSQLを使用したが、更にLinux版のORACLEも購入し調査研究を進めチャンスを待った。同じ頃 SunMicrosystemsから発表されたJavaも俄に注目を集めていた、こちらはWebよりもC/SシステムとしてSQL-Windowsの変わ りに使えるのではと考え、社内の会計システム等を実験的に開発して評価していた。

1999年:オープンソースビジネスの開花
意外と早くそのチャンスは巡ってきた。PCの黎明期 を牽引した会社からのオファーだ、特に指定はなかったと思うが、暗黙の了解でWindowsNT,ASPの組み合わせだったかと思う、コスト面、OSの安 定性を押し出しLinux,PHPで提案し見事勝ち取る事ができ、プロジェクトは無事カットオーバーとなり一部仕様追加でのプログラム入れ替えまでの3ヶ 月間システムは1秒たりとも休まず動き続けた。大成功だ。これが以降オープンソースを看板にするようになった第一歩となりました。

2000年:JSP登場
JSPが発表されると基幹系のWeb化が一気に加速し、IBMの WebSphereや富士通のInterStageをWebアプリケーションサーバーとして用いたシステム構築が花盛りとなった。社内システムで活用して いたJavaそして97年から数々Webシステムを開発してきた実績を持ってすれば、特に難しいこともなく、JavaでのWebアプリケーションシステム の開発は難なく進み、オープンソース技術でのアプリケーションサーバーTomcatやフレームワークStruts等も取り込み安定した技術となった。

2001年:本社事務所を千代田区富士見に移転
安定したJavaアプリケーションの技術での開発が続く。

2002年:Zopeとの出会い
既に基幹業務のWeb化は一時期の勢いを失っていおり、既に普通になっていたJavaのWeb アプリケーションの開発では差別化ができない、そこで基幹業務のWebアプリはC/Sより使いにくいといった問題、コンシューマ向けの新規インターネット ビジネスの立ち上げを低コストで行うの二つに着目して調査・研究を行った。C/Sのようなユーザインターフェースの試みはFlash+オープンソースであ る程度可能だったものFlashがプログラム開発者に馴染みにくいのとサーバ側のオープンソースが今ひとつ技術の成熟度が低くこれについては断念し、イン ターネットビジネスの早期低コスト立ち上げにターゲットを絞り、オープンソースの非JavaWebアプリケーションサーバーZopeに着目し調査を行っ た。
開発言語は、Python&DTMLであるが環境の取り扱い易さ、シンプルな言語体系であり開発効率が良いことが実証されたので、更に共通 部品などを作成し、情報提供系のWebアプリが更に効率よく作成できる環境を整えました。基本的に開発効率が良いことが実証されたので、更に共通部品など を作成し、情報提供系のWebアプリが更に効率よく作成できる環境を整えました。

2003年:Zopeの提案と採用
大手情報出版系の会社に採用され数々のWebアプリケーショ ンの開発を行いました。開発スキームの体系化や保守運用体制の確立などシステム開発全般に携わる、標準化を行うことにより更なる生産性向上を追求しまし た。このような開発スキームを浸透させることで、新たな商品やビジネスモデルをより早く市場にお披露目し、フィジビリ検証することが可能となりました。

2004年~2005年:続くZope開発
システム開発及び運用コストの削減はもちろん、システム開発のスピードと品質においても、お客様から高い評価を頂き、様々な情報提供サービスを構築し、3年間で12サイトもの商品企画(ビジネスモデル)をインターネットに公開することができました。
この間の経験を経て、エンドユーザをターゲットとしたシステム開発の難しさや重要性を改めて認識する一方で、ソフトウェア技術とインフラ技術を融合し大規 模サイトの構築にも自信を得ることができました。また、2004年頃から登場し始めたWeb2.0の先駆けであるブログサイトを構築し、ここで習得した技 術や考え方の蓄積が後のFrontier開発へ繋がって行くことになります。

2006年:Zopeの陰りとJavaの復権
アカデミックではないZopeでの開発は、技術者のリソース不足という事態に巻き込 まれZopeでの開発にもチラホラと陰りが見られることを肌で感じ始めてきました。そんな中、リッチクライアントやSNSが台頭しつつあり、Java開発 を復活させると共に、リッチクライアントでSNSを試作開発することに挑戦しました。オープンソースであるLaszloを採用。JavaScriptで Flashのリッチクライアントを実現し、バックエンドはJavaを採用して開発を始めました。

2007年:社内SNS
SNS+特定のコンテンツの集合(mixi+Wikipediaの特定 分野の情報コンテンツ)として、リッチクライアントの特徴を生かした、動作があり表現力の優れた機能を取り入れ開発をすすめつつ、各方面への提案を行って いきました。その結果、OpenLazsloの技術は某SNS系サイトの一部に採用され、それは好評でした。
その後、OpenLaszloで作 成したFull Flashのコンテンツのためか、機能追加にともなってパフォーマンスの問題を抱えてくるようになりましたが、社内SNSとしてのカスタマイズを行い、社 内での運用を開始しました。これは、現在も続いており、この運用が会社のイノベーションやFrontier誕生に大きく寄与しています。

2008年:SAStruts+Seasar
復権したJava開発の強力な援軍として、フレー ムワーク「SAStrus」を採用した開発の評価を行う。「SAstrus」は、Java開発フレームワークとして主流であり信頼性のある「Strus」 をベースとしたもので主な特徴としては、次の三つを挙げることができます。

1) 「Strus」を用いた開発では、規模の大きい開発では、設定ファイルのxml記述が膨大となってしまう点が解消される。
2) 技術的には、「Seaser」のDI(Dependency Injection)によって、実行する個々のプログラム機能を、設定ファイルの定義書き換えだけで差替えが出来るので全ての機能がそろっていなくても部分的な開発が進められることによる効率化。
3) アスペクト志向プログラミング(AOP)の利用によって、本来のビジネスロジックとは分離する全体的な共通的処理を、各プログラムへ記載せずに実装ができるので、プログラムへのコード量の削減と効率化。

SAStrutsは、その名のとおりスーパー・アジャイルな開発に適していて、ZOPEに匹敵する生産性が期待できると評価できました。

2009年:Frontier 1.0 誕生
OpenLaszlo版の社内SNS、そして今後のOpenソースでの開発の主流となると予想される「SAStruts」の技術の融合によってFrontierが誕生しました。

Frontierの詳細についてはこちらへ。